今回はコスメやチェーンバッグで有名なラグジュアリーブランド「CHANEL(シャネル)」をご紹介します。
また、ファッションアイテムを総合的に取り扱うブランドですが、レディースしかないのはご存じでしょうか?
なぜレディースしか扱わないかは、歴史とコンセプトを知っていただければ分かります。
これを知ればあなたもシャネル通!?
CHANEL(シャネル)の歴史
創業者であるココ・シャネルは数々の名言で社会現象を起こすなど、ハイブランドとして世界中の女性から支持されています。
1910年:パリに帽子専門店をオープン
1910年、創業者のココ・シャネルがパリに帽子専門店をオープンしたことからシャネルの歴史が始まりました。
ココ・シャネルは1919年には初のオートクチュールコレクションを発表します。
シャネルのデザインは、他ブランドの豪華な装飾とは違い、シンプルで機能性の高いものでした。この時、ジャージ素材を使用したドレスを発表。低コスト、窮屈なコルセットからの解放、着心地の良さ、無駄のないデザインなど話題をよび、一躍脚光を浴びることとなりました。
さらに1921年に伝説的な人気を誇る香水「No.5」や当時喪服の色をしてタブーであった黒をモードの色と再定義するアイテムなどを生み出していきました。
これらのブランドコンセプトとなる「女性の服の開放」や「古い価値観にとらわれない自由で自立した女性像」を象徴としたアイテムが支持され、シャネルは大企業へと成長します。
1939年:戦争によりブティック閉鎖
1939年、第二次世界大戦により、ブティックは閉鎖に追い込まれます。ただ、香水やアクセサリー事業だけは継続。終戦後ブティックを再開しますが、フランスでの人気はそのまま低迷してしまいます。
しかしマリリン・モンローがシャネルの香水を愛用していたことからアメリカを勇信に「シャネルルック」が再評価されたことをきっかけに、世界的にも高い評価を受けるようになります。
1983年:カール・ラガーフェルトがアートディレクター就任
この復活から「チェーンベルトバッグ」や「バイカラーシューズ」といった名作を次々と生み出し、ココ・シャネルは1971年に87歳でその生涯を終えました。
このころのシャネルはブランドとして死んだも同然と思われており、時代の終わりを迎えたかのように思われました。
ここで1983年に「カール・ラガーフェルド」がアーティスティックディレクターとして就任します。
- ピエールバルマンS.A.
- ジャン・パトゥ
- クロエ(Chloé)
- フェンディ(FENDI)
これらブランドを渡り歩いた天才デザイナーと言われています。
ココ・シャネルのDNAを残しつつ、最新の流行を全面に押し出したデザインがシャネルを復活させました。
香水やオートクチュールコレクションなどの新作を次々と発表し、1994年には日本でも爆発的なブームが起こり、今この人気を確立しています。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
シャネルは日本でも定番アイテムのほかに、腕時計や化粧品も含めて大人気のブランドです。
ココ・シャネルの確固として女性に向けたブランドコンセプトを基に今のシャネルを築いていきました。
だからこそ、ここまで世界中の女性から支持され、今でも魅力的なアイテムを生み出し続けているのです。