誰もが憧れるブランド、HERMES(エルメス)をご紹介します。
数ある高級ブランドの中でも、一層高級なイメージがあるのではないでしょうか?
最も知られているバッグの「Birkin(バーキン」は大変人気なアイテムですよね。
革製品を手に取ったら「質が圧倒的」だと分かります。
ここでは歴史だけでなく、有名アイテムをカテゴリ別にご紹介します。
HERMES(エルメス)の歴史
なぜバーキンは「純金よりも投資価値がある」と言われているのか、その歴史を紐解いていきます。
ブランドの成り立ちやこだわりを知ることで、さらにエルメスの魅力がご理解いただけます!
1837年:パリに工房を構える
始まりは1837年、ティエリーエルメスが馬具の制作工房をパリ9区に構えたことです。
ディエリーの作る馬具は機能性も高く、おしゃれですぐに人気となりました。さらに、ナポレオン3世の時代では皇帝御用達の馬具ブランドとなり、1867年の万国博覧会では鞍が銀賞を獲得。
瞬く間に馬具の最高級ブランドとして知名度がフランスで高まりました。
2代目のシャルル・エミール・エルメスの時代でもパリ万博で金賞を獲得し、エルメスは品質、名声ともに不動のものとしました。これによりヨーロッパ中の上流階級がエルメスを求めたのです。
自動車の登場でファッション分野に転換
この時(1892年)ケリーやバーキンの原型となる、馬の鞍を収納するバッグ「オータクロア」を発表しました。
ここまでは見事な成長でしたが、時代の流れによってエルメスを含めた馬具製造が危機に瀕してしまいます。それは、自動車の登場です。多くの馬具工房が苦境に立たされる中、エルメスは違いました。
3代目の「エミール・モーリス・エルメス」はアメリカのフォードの自動車を見て、自動車時代が到来することを予見し、ファッション分野に見事な転換をしました。
そこで、上質な革の入手ルートと馬具製造での技術、センスをフルに使い、1903年ころ、財布やバッグの製造、1920年には初めてバッグにファスナーを取り付け、特許を申請。
製造技術はもちろん、先見の明がすごい…!
当時コットンが主流だった財布、バッグ、ベルト等のアイテムを革で生み出し、ファッション文化に革命をもたらしました。
エルメスがオレンジを使う理由
1926年に現在のウィンドウディスプレイの先駆けとなる、本店のディスプレイは「エルメス劇場」と呼ばれ、エルメスはファッション業界の様々な部分でパイオニアとなりました。
翌年以降には腕時計、スカーフや香水など、現在のエルメスのアイコンの1つとなるアイテムを次々と生み出していきます。
また、エルメスと言われて想像するオレンジの包装物もこのころ採用されました。戦時中に余ったオレンジの紙を使ったところ、インパクトがあり好評だったため、そのまま現在まで使われているというエピソードもあります。
戦時中はメインの梱包箱が在庫切れになったらしいです。
渋々使うことになったオレンジが顧客にヒットしたのです!
人気バッグ「バーキン」の価値の理由
さて「バーキン」がなぜこんなにも希少性があり、価値があるのか。
1984年、当時のエルメス社長であった5代目の「ジャン=ルイ・デュ・マ・エルメス」がフランス人女優のジェーン・バーキンのために作りその名がつけられました。
今でも1人の職人が1つのアイテムを担当し、手作業で作っており、バーキンは1つ完成するまでに20時間を費やしています。
こうして熟練の職人が丁寧に作り上げているからこそ、憧れのバーキンの供給量が全く足りず、希少価値が高まっていくのです。
製品へのこだわりが強い…笑
量より質とはこのことですね!
日本でのエルメス人気はかなり遅いものでした。1964年に日本で最初に西武百貨店でスタートしましたが、まったく売れず、知る人ぞ知るブランドでした。
エルメスの人気を爆発させたのは、1979年丸の内にオープンした初の直営店です。ウィンドウディスプレイなど殆どない時代に美しいディスプレイで飾られた店舗は、瞬く間に丸の内OLの憧れになり、今もなお憧れのブランドとして人を惹き付けています。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
今やエルメスは日本でも爆発的な人気を誇るブランドです。
「純金よりも投資価値がある」と言われ、自分の給料よりも高価なバッグを買ってしまうというほどの熱狂的なファンがたくさんいます。
ブレることなくブランドイメージを確立させてきたエルメスの戦略こそ、現代でも変わらず輝き続けられる要因ではないでしょうか?