簡単シンプル!有名なパラドックス3選【面白い矛盾】

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○○パラドックス、誰でも一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか?

「正しい前提」と「妥当な推論」を組み合わせたことで出現する理解しがたい結論、これがパラドックスです。

パラドックスは物理学・経済学・数学・SF世界における仮定まで、さまざま存在しています。

こそり

なんだか難しい…。

そこで、本記事ではイメージしやすい、有名なパラドックスについてご紹介します。

目次

親殺しのパラドックス

物騒なテーマですが、かなり面白く有名なパラドックスです。

親殺しのパラドックスは「タイムトラベル」をテーマとしたパラドックスです。

タイムマシンで過去に戻って、自分が生まれる前に親を殺したら、自分の存在は消えるのか?
もし消えるとすれば自分が殺したという事実はどうなるか?

このシンプルなテーマは、SFの世界において大きなテーマとして挙げられます。これを元にした作品は数多く存在します。

本題となるのは「時間旅行による過去の改変は可能か?」ということです。

素直に解釈すると「親を殺したので自分は生まれない」ため「自分が親を殺したという事実も存在しない」

けれどそれなら、「親は生きている」ので「自分が生まれる」し、「親を殺したという事実も発生する」のではないでしょうか?

このように堂々巡りのパラドックスが生まれます。

こそり

なるほど、シンプルな矛盾が生まれてるのですね!

このパラドックスの仮説として「過去へのタイムトラベルが不可能」という解釈に使われることもありますが、「過去に訪れても決して改変できない」、つまり親を殺そうとしても必ず失敗する(殺せない)というものがあります。

他にタイムトラベルによって異世界、パラレルワールドにいくため、自分が生まれた歴史と生まれなかった歴史に分離するなどさまざまな仮説があります。

親殺しのパラドックスは、現状では正解が全く不明なパラドックスであり、だからこそ人々の想像力を掻き立てる興味深い存在だといえます。

親殺しのパラドックスに対する仮説まとめ

先ほど少し触れたものを含め、仮説をご紹介します。

  • タイムトラベル自体に影響を与えない歴史改変は可能
  • タイムトラベルはパラレルワールドに行くという考え方の場合、タイムトラベルした本人が存在する世界、しない世界に分離
  • タイムパラドックスが起きると宇宙の全体、または一部が消滅する
  • 過去の改変までも、その過去に織り込み済みである

このパラドックスには、さまざまな仮説があり面白いため、アニメ漫画、映画などで使われています。

倹約のパラドックス

このパラドックスは、実際に起きる現象を扱った経済学のパラドックスです。

例えば、1つの家庭で倹約して出費を少なくすれば、貯金額は上がります。しかし、日本のすべての家庭が一度に出費を減らした場合、日本の経済活動自体が減って景気が悪化するため、給与をメインとする家庭の収入も減ってしまい、貯金は増えないことが考えられます。

このように1つの家庭というミクロの世界で成り立つ法則は、世界の経済というマクロの世界では、成り立たないかもしれない、それが倹約のパラドックスです。

実際に起こってしまった例
  • 日本国内であれば、企業が一斉に借金返済を優先したため、設備投資などが減って、景気の悪化を招いて起きた不況
  • 江戸時代、外国と交易が制限されていたため、支出の削減が単なる経済活動の縮小につながってしまった
  • 世界を1つのマクロ経済圏と考えるならば、世界恐慌の後に自国内での需要を奪われないよう貿易を制限したことで、かえって不景気が長引くことになってしまった

以上などはパラドックスは経済を語るうえで外せないテーマです。

実際の経済を考える上でも、考慮すべき重要な要素であり、近年提唱されるパラドックスの中にはこのように現実の社会における現象を扱ったものが多くあります。

全知全能のパラドックス

このパラドックスは、実現不能な事象を扱う思考実験的なパラドックスです。

「全知全能の神は、自分が持ち上げられない石を作ることができるのか?」

という問いに代表されるような、「神は自らの全能性を制限して全能でなくなることができるのか?」というのがその主題です。

こそり

より分かりやすい例題があります!

「神はブリトーを自分が食べられない熱さに温められるのか?」という表現が見事、かつユニークですね。

もし全能性を制限できないなら「できないことがある」から全能ではないと言えますし、全能性を制限できるなら「制限した後の存在は全能ではない」といずれにせよ矛盾が生まれます。

これは神学を含む哲学の世界において、かなり長い間考察され、論じられてきたパラドックスでした。

ある哲学者はこれを「全能が存在しないことの証明」と考え、あるいは全能の定義を問い直す哲学者も存在しました。

なぜか神学の世界では大波乱

神学の中でも「真に全能の存在ならば、自分以外の存在を含めて世界を作る必要がないはずだ」という考察もでました。

しかし、ユダヤ教やキリスト教、イスラームなどといったアブラハムの宗教における「全知・全能・全善」という概念を否定することとなります。

その結果、イスラーム哲学からこのパラドックスが伝わったヨーロッパでは、パリ大学で神学を学んでいた人々が、激しい議論の末に、6年間ものストライキを行うほどの波乱を巻き起こしました。

こそり

なんでそうなる!?(笑)

まとめ

パラドックスの中には「思考実験的なもの」「現実の現象に沿ったもの」があります。

どちらも一見ありえそうな結果を導き出しますが、視点を変えることによって矛盾が発生することは面白く、少し不気味で興味深いものです。

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